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諏訪に訪ねた 神さま仏さま

AICSサテライトオフィスの A.S です。この秋「諏訪神仏プロジェクト」という興味深いイベントが諏訪周辺エリアで開催されました。NHKの日曜美術館でも特集されたのでご存じの方もいらっしゃることでしょう。

今年、御柱祭が行われた国内最古の神社のひとつ諏訪大社。過去に何度か訪れたことがありましたが、何と、明治に入るまでの千年にわたって、神社の隣に諏訪大社の神域以上の規模の巨大な寺、「神宮寺」が存在していたという事実を私は全く知りませんでした。神仏習合の頃の風景です。

諏訪市博物館では江戸時代の姿を映した「諏訪社遊楽図屏風」が今回のプロジェクトで特別公開されていました。それを観ると諏訪大社上社本宮には立派な五重塔や普賢堂が描かれていて当時の様子がよくわかります。もし神宮寺が現存していたなら日本の宝となっていたことでしょう。残念ながら明治の廃仏毀釈でこの鎌倉時代に建立された五重塔をはじめ、貴重なお堂のほとんどが破却され、多くの仏像たちは諏訪地域の各寺院に人々の手によって移され散在してしまったそうです。

今回訪ねたプロジェクトでは、神仏分離の難をのがれ周辺の寺院で大切に祀られてきた諏訪大社「神宮寺」ゆかりの仏像などがまとめて公開されていました。

下の写真は佛法紹隆寺にある「文殊菩薩騎獅像」で神仏分離の際に仏像の目が破壊された姿そのままで祀られていました。

仏法紹隆寺は諏訪湖の南東、山を少し登ったところにある寺で、かつて諏訪大社神宮寺普賢堂に祀られていたとされる「諏訪大明神本地普賢菩薩騎象像」(写真上)も公開されていました。仏像名の「本地」とは神仏習合における考えのひとつで本地垂迹(ほんじすいじゃく)説に基づいています。神と仏は本来同体で「仏」が人々を救うために「神」という仮の姿であらわれたと説明する考え方です。仏の本来の姿(本地ほんじ)ではなく、神という仮かりのすがた(垂迹すいじゃく)となって人々をすくうという神仏同体説です。

写真上の騎象の仏像は諏訪大社の神さまの本地仏(本来の姿)ということです。日本古来の神様を信仰していた日本人に後に大陸から入ってきた仏教を広く普及させるために考案えられた方法です。時代が移り変わるにつれて本地と垂迹が入れ替わったりもしたそうです。

神と仏、異なった2つの概念を対立させるのではなくダブルスタンダードにしてしまうあたり、明治以前の日本人には高いプロデュース力と寛容さがあったようです。大陸から伝わった漢字(真名)から、かな(仮名)を創りどちらか一方に統一するのではなく、共存させ表現をより豊かに変容させて重ねて使う方法にも似ています。

神仏習合だった頃のかたち本地と垂迹の関係は、明治以前までは寺だった「戸隠山 顕光寺」と「戸隠神社」や、修学旅行で訪れる人が多い京都東山の「清水寺」と「石清水八幡宮」、比叡山延暦寺と日吉大社、奈良の五重塔や阿修羅像でも有名な「興福寺」と「春日大社」など、失われたものもありますが、さまざまなところに在ったりもします。旅でふたつのかたちを辿るのも興味が膨らみます。

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